世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。
はじめに
前回はこのような流れでした。
今回は今までのオリエント文明から影響を受けたエーゲ文明について授業をします。
ついに文明の息がヨーロッパまで広がってきましたね。
このエーゲ文明はのちのギリシア文明にも影響を与えています。
それでは見ていきましょう!
MQ:クレタ文明とミケーネ文明の特徴の違いとは何か?
今回の時代はここです!
エーゲ海とは
そもそも「エーゲ文明」とは何か?
それは今のギリシャとトルコの間に位置する海域「エーゲ海」の周辺で起きた文明だからなんですね。
小さい島が多くて何か複雑ですね。笑
このエーゲ文明では大きく2つの文明が誕生しそれを見ていきます。
ではそれぞれの特徴について見ていきましょう
クレタ文明
エーゲ文明でまず中心を担った文明は、海域最大のクレタ島で起こります。
前2700年ごろに起こったその名もクレタ文明です。ヨーロッパ初の青銅器文明として出現します。
この文明は神話上ですが、クレタ島の王で強大な海上帝国を築いたミノス王にちなんで「ミノア文明」と言ったりもします。ここではクレタ文明で統一しておきますね。
20世紀初めにイギリスのエヴァンズによって発掘され、文明の存在が明らかになりました。
クレタ文明は前2000年ごろに王権が強大になり、壮大で複雑な構造の宮殿が各地に出現します。
その中でも代表的なのがクノッソスにある宮殿です。
ここの宮殿は宗教を背景に権力が強大化した王の住居でした。古代文明あるあるの神権政治ですね。
この宮殿はとにかく部屋が多くて複雑な構造で、迷宮(ラビリンス)みたいですね。笑
ですがこれ、ただの王の住居ではなかったんです。
宮殿の中庭の周辺には巨大な貯蔵庫が配置されていました。これがどういう意味かわかりますか?
住人の食糧をただ保存するための場所ではありません。これは各地の生産物を集めて、そこから各地へ配分する再配分センターの役割を果たしていたんです。
今でいうアマゾンセンターみたいな感じです。
ちゃんと物と人が活発に行き来する仕組みが作られていたんですね。いわゆるインフラが整っていたのです。
そしてここであの歴史法則が出てきます。
ではどこを中継していたんでしょうか?
それはオリエントとギリシア本土です。この海上中継貿易も繁栄した要因の一つなんですね。
宮殿の人々(今の官僚)は、いまだ解読されていない線文字Aを使ってこれらを管理していたそうです。まあ解読できていないので詳細は分かりませんが、、、
SQ:クノッソス宮殿からわかるクレタ文明の特徴とは何か?
下の復元図と壁画を見て、どんな文明だったのかを考えてみましょう!
壁画に関しては感じたことをそのまま表現するだけで大丈夫です。復元図は現代に生きる私たちの感覚では少し難しいかもしれませんね。
復元図から分かることは何か、みなさんはわかりましたか?
そうです、周りに外敵から身を守る城壁が無いんです。
これはつまり、外の勢力への警戒感が薄かったことがわかります。まあ周りが海だったので、外敵が侵入しずらく気にする必要がなかったのでしょう。
なので軍事力は特に重要ではなく、宗教的権威で民衆を支配していたことがわかります。
力ではなく神秘力で民衆からの信用を得ていたんですね。
壁画の方はどうでしょう?
壁画を見ると一番の印象はやはり「イルカ」ですよね。イルカは現代でも水族館でも人気があり、可愛くて癒しの存在ですよね。(あくまで個人の感想です。笑)
少なくとも怒りや怖い印象は持たないですよね。
イルカは平和の象徴としても扱われます。ギリシア文明では神の使いとしても扱われていました。
これらのことから海洋民族らしい開放的で平和な印象が特徴ですね。
クレタ文明の特徴をまとめるとこんな感じです。
しかしクレタ文明は、前1600年ごろ(前1400年説もあり)に、南下してきたギリシア人に支配されてしまいます。
ここからエーゲ文明は次のミケーネ文明の段階に入っていきます。
みなさんミノタウロスという生き物をご存知でしょうか?
ギリシア神話に出てくる「頭が牛、体は人間」の怪物です。
マンガやアニメでもよく目にするこの怪物が生まれた場所がこのクレタ島のクノッソス宮殿なんです!
誕生ストーリーは長くなってしまうので、詳細はサイト「世界史の窓」のこちらをご参照ください。
ちなみに宮殿の構造が複雑で迷宮のようだったので、宮殿を「ラビリントス」と呼んでいたことから、英語でlabyrinth(迷宮)という言葉ができました。
ミケーネ文明
クレタ文明が海上中継貿易で栄えていた頃、ギリシア本土では前2000年頃にインド=ヨーロッパ語系のギリシア人が移住してきました。
このギリシア人たちが、オリエントやクレタの影響で築いた青銅器文明がミケーネ文明です。
19世紀にドイツ人のシュリーマンによって発掘され、明らかとなりました。
シュリーマン・・・ミケーネやトロイヤの発掘を行い、エーゲ文明の存在を明らかにした人物
この文明はミケーネ・ティリンス・ピュロスなどに巨石でできた王宮と、それを中心にした小王国で成り立っていました。
SQ:ミケーネの王宮からわかる、ミケーネ文明の特徴とは何か?
下の資料をみて、ミケーネ文明の特徴を考えてみましょう!
この図から何がわかるでしょう?さきほどのクレタ文明の特徴を思い出せばおのずとわかってきます。
そうですね、ミケーネの宮殿には城壁があるんです。それはつまりどういうことでしょうか?
壁があるということは、外敵から身を守っていたんですね。要は外敵と戦闘を行っていたことがわかるんです。
しかも門には獅子(ライオン)が描かれています。強く獰猛な動物なので戦闘的な印象をもたせますね。
ミケーネ文明は城塞王宮とその周辺の小王国で成り立っていました。なのでクレタ文明と比べるとこうなります。
彼らは前15世紀にはクレタ文明を支配し、その勢力はアナトリア(今のトルコ)のトロイヤ(トロヤ)にまで勢力を広げました。ちなみにトロイヤは”トロイ”といったりもします。
このトロイ戦争の原因は、神話ではトロイの皇太子がミケーネ王の弟の妃とかけおちしたことで始まったそうです。まあ本当のところは政治的・経済的な理由があったんでしょうが、、、
トロイといえばネットウイルスの「トロイの木馬」や、アキレス腱の「アキレス」の話が有名ですね。
ブラット・ピット主演映画『トロイ』でもトロイ戦争をみることができます。おもしろいのでぜひ観てみてください。
ミケーネ文明では線文字Bが使われていました。
この文字はクレタ文明の線文字Aから学んで作られたものであり、イギリスのヴェントリスによって解読されました。
この線文字Bを使ってミケーネ文明では、王が役人組織を使って地方各地から農産物・家畜や武器を王宮に納めさせて、需要に応じて再び各地に分配していたことが明らかになっています。
クレタ文明との違いは、支配による貢納であり専制支配に近いという点です。植民地との関係に近いですかね。
軍事力によって繁栄したミケーネ文明ですが、前1200年ごろに突然滅びてしまいます。
原因はさまざまで、支配体制の崩壊・気候変動・外敵の侵入(「海の民」説)などがありますがはっきりとはわかっていません。
ここでも「海の民」が出てくるんですね。どれだけ強かったんでしょうね。
まとめ
MQ:クレタ文明とミケーネ文明の特徴の違いとは何か?
A:クレタ文明は城壁もなく明るく開放的な文明であるのに対し、ミケーネ文明は城塞王宮であることから戦闘的で軍事に関心が高かったことが特徴である。
いままでの内容をまとめると、、、
まあこんな感じでしょうか。
今回はこのような内容でした。
ミケーネ文明滅亡後は、「暗黒時代」とよばれる記録が少なく混乱した時代が長らく続きます。その後、ギリシア世界に入っていきます。そこはおいおいやっていきます。
ここまでオリエントの地域ごとにやってきましたが、次回はこのオリエントを統一する大帝国が登場します。ぜひお楽しみに!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社
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