この記事で使用した教材は「note(グシャケン|note)」にてダウンロード可能です。PowerPointスライドやWordプリントのダウンロードは記事下に貼ってあるURLから!
はじめに

前回はこのような内容でした。


今回はインド帝国の成立についてです。イギリス政府によるインド直接統治にはどんな特徴があったんでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:インド直接統治の特徴とは?
東インド会社の解散とインド帝国の成立
東インド会社の解散
[14-2.4]インド大反乱でもお話した通り、シパーヒー(インド人傭兵)の反乱から始まったインド大反乱は、イギリスに大きな衝撃を与えました。
それまでインドを支配していたのは、国家ではなく東インド会社という民間の貿易会社でした。
しかし、このインド大反乱が起きたことで、イギリス政府は「反乱は東インド会社の統治が失敗したから」という判断をします。
インド大反乱を鎮圧したイギリス政府は、

もう会社には任せられない。今後は国家が直接インドを支配しよう。
という政策転換を打ち出して、東インド会社の解散に踏み切りました。

こうして始まったのが、後に「インド帝国」と呼ばれる新たな統治体制でした。
17世紀初め以来、約250年にもわたってインド経営に関わってきた東インド会社でしたが、その歴史に幕が下ろされることになりました。

SQ:なぜインドは政府による直接統治に変わったのか?
イギリス政府は、インド大反乱という大規模な反乱が起こってしまった以上、民間企業に任せては安定した支配はできないと判断したんです。
そこで、イギリス本国にはインド省と担当大臣が設置されて、インドでは総督と参事会が統治を担当する体制が整えられました。
つまり、インドは東インド会社の植民地ではなく、イギリス国家そのものの植民地へと変化していったんです。
インド大反乱が起こり、東インド会社による支配ではインドを安定して統治できないとイギリス政府が判断したため、政府による直接統治に切り替えられた。

インド帝国の成立
インドがイギリス政府の直接統治下に入ったことで、イギリスのヴィクトリア女王は新たな称号を名乗ることになりました。
それが「インド皇帝」です。
これによって、彼女はイギリス女王とインド皇帝を兼任することになりました。

ちなみに、現地のインド総督も副王を兼任することになりました。
この出来事は、

インドを支配しているのは民間の会社ではなく、大英帝国そのものである!
ということを世界中に示す意味があったからでした。
このようにして、新たにインド皇帝(ヴィクトリア女王)を頂点とするインド帝国が成立することになりました。

この体制は1947年のインド独立まで約70年間も続くことになります。


ちなみに、ヴィクトリア女王は生涯で一度もインドを訪れていないんです。しかし彼女は「インド皇帝」を名乗ったことで、インド文化へ関心を持つようになりました。有名なのが、インド人従者との交流です。ヴィクトリア女王は彼からヒンディー語を学び、インド料理を宮廷に取り入れたともいわれています。インドを訪れたことのない皇帝が、インド文化のファンになっていたんですよ。
近代化政策
行政・司法の整備
インド帝国という新体制のもとで、イギリスはインド各地を効率よく支配するために制度改革を進めていきました。
インド全体で統一的な刑法を制定して、高等裁判所などを設置します。
さらに県や郡レベルまで行政組織を整備して、近代国家のような統治機構が作られていきました。
もちろん、これはインド人のためだけではありませんでした。
広大な植民地を効率よく管理し、税金を徴収して、秩序を維持するためでした。
しかし結果として、近代的な法律や行政制度がインド全域に広がることになり、インドの近代化が進むことになりました。
分割統治
そして、以前起こったインド大反乱から、イギリス政府は大事な教訓を得ていました。
それは、

インド人が団結すると危険だ。
ということです。
そこでイギリスは従来の強圧的な支配だけではなく、「分割統治」と呼ばれる政策を進めることにしました。
分割統治とは、支配される人々の間に対立を生み出して、団結することを防ぐ統治方法のことを指します。
宗教、言語、民族、地域などの違いを利用して、人々が一つにまとまらないようにしたんです。


これとは内容は違いますが、古代ローマも「分割統治」を使って、広大な帝国を統治していましたね。
SQ:なぜイギリスは従来の強引な領土拡大政策をやめて、藩王たちを取り込む方針へと変えたのか?
それまではイギリスは何かに理由をつけて藩王の領土を併合して領土拡大を繰り返していました。
しかし、インド帝国になると逆に藩王たち(旧支配層)を取り込もうとする動きが見られるようになります。

ではなぜ、強硬的な政策から取り込もうとする政策へと転換したんでしょうか?
それもやはり、インド大反乱が原因でした。
インド大反乱でイギリス軍を苦戦させたのが、領土や特権を奪われたもと藩王(旧支配層)たちでした。
なので、東インド会社の時代は藩王の領地を次々に併合していましたが、大反乱の反省から、インドの旧支配層をこれ以上敵に回さないために、それまでの藩王国併合政策を見直そうとする動きが出てきたんです。
支配する側にとって、武力だけで広大な地域を管理することには限界があります。
だからこそ現地の有力者を味方につけることが重要だと考えたんです。

かつて排除されていた人々が、今度は植民地支配の支え手になったんです。
こうして、藩王たちを統治協力者として利用する方針へと転換していくことになったというわけです。
インド大反乱で領土や特権を奪われた藩王たちが反乱に参加したため、イギリスは旧支配層をこれ以上敵に回さないよう、藩王を統治協力者として取り込む方針へ転換したから。

鉄道建設の影響
インド帝国の時代には経済面でも大きな変化が起こりました。
その象徴が「鉄道」でした。
インドでは、19世紀半ばからイギリスから流入した資本によって、鉄道建設が急速に進んでいきました。
さらに1869年のスエズ運河の開通によって、ヨーロッパからインドへの距離が大幅に縮まることになり、さらに貿易が活発になっていったことで、さらなるイギリス資金が流入するようになっていきました。
加えて海底電信網も整備されて、これまで数か月かかっていた連絡が、短時間でできるようになっていきました。

それまでロンドンからインドへの連絡は船便に頼っていて、返事が届くまで何週間、場合によっては数か月かかっていたそうですよ。
これは当時の人々にとっては、まるで現代のメッセージアプリが登場したような衝撃だったんです。
これらの政策はイギリスから見れば、全て世界最大級の植民地を効率よく管理する手段に過ぎませんでした。
しかしその一方で、インド国内の市場や人々の移動を活発にしていったことで、インド人たちの自立を促すことにもなっていきました。

皮肉なことに、植民地支配を強化するためのインフラが、後のインドの民族運動を広げる土台にになっていったんです。

世界市場に組み込まれるインド
プランテーション化
鉄道や運河の整備によって、インド経済はイギリス中心の世界市場へ深く組み込まれていくことになりました。
インド帝国内では、茶やコーヒーのプランテーションが拡大していき、綿花や落花生などの商品作物の生産が増加していきました。
さらに、米や小麦といった主食作物まで商品として取引されるようになっていきます。

つまり、「地域で食べるために作る農業」から、「売るために作る農業」へと変化していったんです。
この変化は農民に新たな収入の機会を与えることにはなりましたが、ひとたび貿易の取引価格が下がったり上がったりすると、インド人の生活が直接左右されるというリスク(危険)を生み出すことになりました。

南北戦争の影響
ここでインド経済に意外な影響を与えたのが、アメリカ南北戦争でした。

アメリカの地で起こった南北戦争は、一見するとインドとは無関係に思えますが、実はインド経済に大きな影響を与えていたんですよ。
この南北戦争によってアメリカ国内の綿花生産に大きな打撃を受けてしまいます。
すると輸入先だったイギリスは、アメリカの代わりとなる供給地を求めます。
そこで注目されたのがインドでした。
こうして、インド産綿花の需要は急増していき、インドで空前の綿花ブームが起こりました。
輸出の需要が急増したことで、綿花価格は高騰していき、商人たちは巨額の利益を手にするようになっていきました。
しかし、このブームが長く続くことはありませんでした。
南北戦争が終わるとアメリカ産の綿花生産量が戻っていき、再びアメリカ産綿花が大量に輸出されるようになると、インド産綿花の需要が減少して、インド経済は深刻な不況に陥ってしまいました。
そして、綿花栽培に代わるビジネスのために、綿花貿易の調子が良かった時に蓄積していた資金(資本)を工場建設などに投資していったことで、近代産業発展の一因となっていくことになりました。

新エリート層の形成
植民地支配を円滑に維持するために、イギリスは英語教育による高等教育を整備しました。
目的はイギリスによる植民地統治を支える人材を育成することでした。

ところが、この教育政策は予想外の結果をもたらすことになります。
英語を学んで、法律や政治を学んだインド人たちは、やがて西洋の自由や権利の思想にも触れることになっていきました。
そして彼らは官僚や弁護士、教師として社会的地位を高めていき、植民地制度の中で成功した後に民族運動の中心人物となっていくことになります。

まとめ
MQ:インド直接統治の特徴とは?
A:イギリス政府が東インド会社に代わってインドを直接支配し、行政・司法制度や鉄道などのインフラを整備する一方で、分割統治や藩王の取り込みによって植民地支配を強化した。

前回はこのような内容でした。

次回は、東南アジアの植民地化についてです。東南アジアの植民地化はどのように進んでいったんでしょうか?
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
PowerPointスライドは他の記事も合わせて「note」にてダウンロードし放題!下のURLから!

このブログ「グシャの世界史探究授業」に関連するリンクを下にまとめました。気になるものがあれば、ぜひのぞいてみてくださいね。
【YouTube:グシャの世界史探究授業 – YouTube】
【note:グシャの世界史探究授業 教材ダウンロード|グシャケン】
【X:グシャの世界史探究授業 (@s_w_history) / X】
【ポッドキャスト(Apple):[聞き流し]グシャの世界史探究授業 – ポッドキャスト – Apple Podcast】
【ポッドキャスト(Spotify):[聞き流し]グシャの世界史探究授業 | Podcast on Spotify】








コメント