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はじめに

前回はこのような内容でした。


今回は、インド植民統治の開始についてです。植民地統治はインド社会をどのように変えていったんでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:イギリスによる植民地統治は、インド社会をどう変化させたのか?

みなさんは「イギリス東インド会社」と聞くと、どのような組織を思い浮かべますか?
おそらく「インドとの貿易を行った会社」というイメージが強いでしょう。実際、その出発点は貿易会社でした。しかし19世紀になると、東インド会社は単なる商人ではなく、広大なインドを支配する統治機関へと変化していきました。
そして、この変化はインド社会そのものを大きく作り変えることになりました。
インド綿布の重要性低下
18世紀後半、イギリス東インド会社はプラッシーの戦いなど、反英勢力との戦いを経て、インドの広大な支配領域を獲得しました。
ところが19世紀に入るころには、東インド会社の収入構造に大きな変化が起こります。
それまで利益の中心だったインド綿布の重要性が低下していったんです。

SQ:なぜ東インド会社は貿易の重要性が低下してしまったのか?

ではなぜ重要性が低くなったんでしょうか?
この頃、イギリスでは産業革命によって、機械化による綿織物の生産が急速に伸びていました。
なので、イギリス国内で綿織物が大量生産できるようになると、わざわざインドから綿布を輸入する必要がなくなっていきます。
その結果、東インド会社にとってインド綿布の重要性が低下していったんです。
イギリスで産業革命が進み、綿織物を国内で大量生産できるようになったため、インド綿布を輸入する必要がなくなったため。

2つの地税制度
ザミンダーリー制
そして、インド綿布の代わりに重要な収入源となっていったのが地税(土地税)でした。
もともと、インドには近代的な土地所有の考え方があまりなく、村落共同体や地域の有力者が複雑な土地管理をしていました。
なので、東インド会社が効率よく地税を集めるために、新しい土地制度として導入したのがザミンダーリー制でした。
この制度は、東インド会社が地域の有力者であったザミンダール(地主)を正式な土地所有者として認めて、彼らに徴税を請け負わせる仕組みでした。
ザミンダール(地主)が農民から集めた税のうち、原則として東インド会社に納める税額は固定されていて、長期にわたって変更されない仕組みになっていました。
このザミンダーリー制によって、少人数のザミンダール(地主)を管理するだけで広い地域から税を徴収することができるようになりました。

農民一人ひとりを直接管理する必要もなかったので、とても効率的な方法でした。また、ザミンダールを植民地支配の協力者として取り込む狙いもありました。

しかし、この制度には問題もありました。
ザミンダール(地主)たちが自分たちの利益を優先するようになっていき、農民に余計に重い負担を課すようになっていったんです。

そりゃ、東インド会社に収める税額が固定だったので、集めれば集めるだけ自分の利益になりますからね。
この結果、農民と東インド会社の間にザミンダール(地主)が入ったことで、農民の生活はかえって苦しくなってしまいました。
また、東インド会社に収める税額が固定だったので、会社側にとっても期待したほどの税収が得られない状況になりました。
さらに、この制度によってインドの農村社会の構造も大きく変化することになり、ザミンダールに選ばれた新しい地主は成長していく一方で、逆に没落していく有力者たちも現れました。

ライヤットワーリー制
ただし、ザミンダーリー制はインド全域で実施されたわけではありませんでした。
地域によって文化や制度が違っていたので、南インドや中部インドの一部では別の徴税制度が採用されました。
それがライヤットワーリー制という地税制度です。

「ライヤット」は、実際に土地を耕している農民のことを指します。
ザミンダール(地主)を仲介者にしたザミンダーリー制とは違って、ライヤットワーリー制では仲介者を置きませんでした。
東インド会社が土地を直接所有し、農民一人ひとりに土地の保有権を認めて、直接地税を徴収する仕組みでした。

東インド会社は、マイソール戦争やマラーター戦争によって支配地域を拡大するなかで、それまでの小領主や既存勢力の徴税権を次第に廃止していき、農民を直接統治する仕組みを整えていったんです。
ザミンダール制では、ザミンダール(地主)を仲介することで、税の一部が仲介に吸収されたり、徴税状況を把握しにくくなってしまいました。
なので、農民から直接徴税することができるライヤットワーリー制にすれば、より確実に税収を確保できると考えたんです。
ザミンダーリー制・・・「地主請負型の徴税制度」
ライヤットワーリー制・・・「農民個人への直接課税制度」


しかし、この制度が農民にとって必ずしも有利だったわけではありませんでした。
ライヤットワーリー制では税額が一定期間ごとに見直される仕組みだったので、収穫が不作でも重い税を課されることがありました。
その結果、税金を支払うために借金を重ねる農民も少なくなかったんです。

つまり、ザミンダーリー制とライヤットワーリー制は仕組みこそ違いましたが、東インド会社の狙いは一緒でした。それは
“できるだけ効率よく、より多くの税を集めること”でした。
東インド会社にとって、インド支配を維持するためには莫大な財源が必要でした。
そのため、制度の違いはあっても、最終的には農業生産から安定的に税収を確保することが最優先だったんです。
ライヤットワーリー制も、地主を通じて支配するザミンダーリー制とは違う形で、イギリスがインド社会を統治し、収奪していく仕組みの一つだったんです。

インド社会の変化
農村共同体の衰退
SQ:土地制度の変更によって、なぜ農村共同体のつながりが弱まったのか?
そして、こうした土地制度は単なる税金の仕組みの変更ではなく、インドの伝統的な村社会そのものを大きく変えてしまいました。
当時のインドの村では、農民だけでなく、洗濯人、大工、鍛冶職人、宗教関係者などさまざまな人々が共同体の一員として生活していました。
彼らは現代のように給料をもらうのではなく、村全体で生産された物を一定割合で受け取る権利をもっていました。

たとえば大工が農具を修理し、洗濯人が衣類を洗い、宗教関係者が祭礼を行う。
その代わりに収穫物が分配されるという仕組みでした。
ところが新しい土地制度によって、ザミンダールやライヤットなど、特定の個人だけが正式な所有者として認定されて、それまで村の共同体で保障されていた多くの権利が無視されてしまったんです。

もしみなさんの学校の教室で、ある日突然「今日から学校の机は○○さんだけの所有物です。」と決められたらどうなるでしょう?
これまでは皆で使っていたものなのに、一人だけが所有者になると、人間関係がぎくしゃくしそうですよね。
もちろん実際の土地制度はもっと複雑ですが、インドの村人たちにとっても、新制度はそれくらい大きな変化だったんです。
結果として、村の多くの人々はそれまでの生活基盤を失うことになり、村人同士の関係性も大きく変化していくことになりました。
新しい土地制度によって一部の人だけが土地の正式な所有者と認められ、それまで村全体で共有されていた権利や収穫物の分配制度が崩れたため、村人同士の助け合いや共同体的なつながりが弱まった。

現金納税
そして、さらに農民を苦しめたのが、税を“現金で納める”ことでした。
19世紀前半には、農作物の生産量が拡大したことで農産物価格が低下していました。
そのため、同じ税額を支払うためには、以前よりも多くの作物を市場で売らなければならなくなっていました。

なので、収穫が悪ければ借金をしてでも税を納める必要があったんです。
結果として、現金納税になったことで、多くの農民が困窮していく結果になったんです。

アヘンが支えた植民地経済
インド綿布の没落
[14-2.1]ヨーロッパとアジア貿易でも話しましたが、農村だけではなく、都市の手工業者も大きな打撃を受けました。
かつて世界最高水準だったインド綿布は、イギリス産業革命後のイギリスの安価な綿糸や綿布が大量に流れ込んできたことで没落してしまいました。

イギリス植民地政府は関税も廃止して、道路や交通網を整備してイギリス商品の流通を促進しました。
その結果、19世紀初めにはインド綿布の輸出よりも、イギリス綿布の輸入のほうが多くなり、世界有数の工業地域だったインドが、工業製品の輸入国へと変化していきました。

アヘン経済
こうしてインドは、綿花や茶などの原料を輸出する地域へと変わっていきました。

では、その代金で何を輸入したんでしょうか?
そして主に輸入されていたのが、イギリスの工業製品でした。
しかし、それだけでは貿易収支のバランスを取ることが難しかったので、重要な輸出品となったのがアヘンと呼ばれるものでした。
アヘン・・・ケシという植物から作られる麻薬性の薬物
当時、イギリスでは中国茶の人気が高まり、中国との貿易で支払いによる銀の大量流出が起きていました。
この問題を解決するために、イギリス政府が目をつけたのが、インドで生産されていた麻薬アヘンでした。
そのアヘンを中国へ輸出することで、イギリスは流出した銀(貿易赤字)を取り戻そうとしたんです。
このアヘン貿易は非常に大きな利益を生むことになり、19世紀半ばにはインド政府の歳入の重要な部分を占めるまでに成長していきました。

当時は、アヘンが輸出の15%ほどを占めていたそうですよ。これが後のアヘン戦争につながる重要な背景になっていきます。

本国費の負担
さらに、インドには別の負担もありました。
それが「本国費」と呼ばれるものでした。
植民地官僚や軍人の給与、帰国後の年金、植民地経営に必要な諸経費など、多くの資金がイギリス本国へと送金されていました。
つまり、インドで生み出された富の一部が継続的に国外へ流出していたんです。
その穴埋めをするために、インドは中国や東南アジア、アフリカとの貿易を拡大していくことになりました。
こうしてインド経済は、イギリスを中心とする世界経済へ深く組み込まれていくことになりました。

SQ:インド経済は、どのようにしてイギリス中心の世界経済に組み込まれていったのか?
イギリス支配下のインドは、原料供給地として綿花や茶を輸出し、その代わりにイギリスの工業製品を輸入するようになりました。
また、中国向けのアヘン貿易が重要な収入源になり、本国費による富の流出を補うために周辺地域との貿易も拡大しました。
その結果、インド経済はイギリスを中心とする世界経済の一部として組み込まれていったというわけです。
インドは、綿花・茶・アヘンなどの輸出とイギリス工業製品の輸入を進め、さらに本国費の支払いのために対外貿易を拡大したことで、イギリス中心の世界経済に組み込まれていった。
東インド会社の変化
インド貿易の独占権廃止
19世紀に入ると、イギリスでは産業革命の進展によって産業資本家たちの発言力が強まっていました。

だって、国家を支える高額納税者ですから政府としては意見を無視することは難しいですよね。
特にマンチェスターの綿織物業者やリヴァプールなどの貿易商人たちは、
安価な機械製のイギリス綿布が大量に生産されるようになっても、インドとの貿易が東インド会社によって独占されていたので、多くの商人や製造業者は自由に市場へ参入することができなかったんです。
なので、

東インド会社だけが貿易を独占しているのは時代遅れだ!
と東インド会社の貿易独占権を強く批判するようになります。
なので、産業資本家たちは政府に対して自由貿易の実現を求めました。

一部の特権企業ではなく、すべてのイギリス国民が自由に商売できるべきだ!
と言うような、自由貿易の考え方が広がっていき、東インド会社に対する批判は年々強くなっていきました。
その結果、イギリス政府は特許状を改訂して、東インド会社のインド貿易独占権は廃止されることになったんです。

中国貿易の独占権廃止
ですが、本国での自由貿易を求める声はそこで終わりませんでした。
この時点では、東インド会社の中国との貿易や茶貿易の独占権はまだ残されていました。
マンチェスターの商工業者たちは1820年代になると、中国貿易の全面開放や茶貿易独占の廃止を議会に求めるようになります。

この背景にも、中国市場にも自由に進出し、自分たちの商品を販売したいという狙いがありました。
こうした圧力によって、イギリス政府は東インド会社による中国貿易や茶貿易の独占権も廃止する決断を下すことになりました。

これによって、東インド会社は全ての貿易独占権を失うことになり、翌年には商業活動そのものも停止することになりました、
しかし、これで東インド会社が完全に消滅したわけではありませんでした。
貿易会社としての役割を終えたあとも会社は残り、インド統治を担う専門の組織へと姿を変えていくことになったんです。

もともと、広大なインド領土を支配して税を徴収し、軍隊を持って、行政を運営する存在になっていましたからね。
まるでプロスポーツチームが突然、市役所や県庁の仕事を任されるような変化と言えますね。

こうして19世紀の東インド会社は、商人の組織から植民地統治の請負人へと変化していき、その先のインド大反乱を経て、イギリス政府によるインド直接統治という新たな時代を迎えることになります。

まとめ
MQ:イギリスによる植民地統治は、インド社会をどう変化させたのか?
A:インドでは地税制度の導入によって村落共同体が弱まり、多くの農民が重い税負担に苦しむようになった。また、イギリス製工業製品の流入によって伝統的な綿布産業が衰退し、インドは綿花・茶・アヘンなどの原料供給地としてイギリス中心の世界経済に組み込まれていった。

今回はこのような内容でした。

次回は、インド大反乱とムガル帝国の滅亡についてみていきます。なぜインド大反乱によって、ムガル帝国は名実ともに滅亡することになったんでしょうか?
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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