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はじめに

前回はこのような内容でした。



今回は近代大都市文化についてです。近代化が進む中で都市の人々の生活やどのように変わっていったんでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:近代化が進むなかで、大都市は人々の暮らしや文化をどのように変えたのか?
古い都市から近代都市へ
19世紀前半までのヨーロッパの都市は、現在の私たちが想像する近代都市とはかなり違っていました。
道路は狭くて、住宅が密集し、上下水道の整備も不十分な状態でした。

道路には馬のふんやごみが散らかり、家庭の汚水やし尿がそのまま路上や川へ捨てられていたそうですよ。
人口が急増するとさらに衛生状態が悪化していき、コレラをはじめとする感染症が流行しました。
一方で、産業革命によって工場や鉄道が発達すると、多くの人々が農村から都市へ移り住むようになります。
都市人口が急激に増えていったことで、古い都市のままでは大量の人口を支えることができなくなっていきました。
そこで各国の政府は、その問題に対応するために、都市そのものを大規模に作り替える計画を進めようとしたんです。

近代都市モデル
パリ大改造
その近代の都市建設の代表例として有名なのが、フランス第二帝政期におこなわれたパリ改造です。
ナポレオン3世のもとで、セーヌ県知事を務めたオスマンが中心となって、古い街区を大規模に取り壊して新しい都市づくりをおこないました。

それまでのパリは、中世以来の狭く曲がりくねった路地が数多く残り、人口増加によって混雑や不衛生な環境が深刻な問題になっていました。
そこでオスマンは、迷路のように入り組んでいた街路を広くまっすぐな大通りへと造り替えます。
さらに上下水道を整備し、公園や広場を建設することで、近代的で衛生的な都市へと生まれ変わらせました。

現在のパリを象徴する美しい並木道や、広場を中心に放射状に広がる大通りの多くは、この時代につくられたものです。


SQ:なぜ政府は莫大な費用をかけて都市改造を進めたのか?

これらの都市再編には莫大な資金が必要でした。ではなぜ政府は莫大な費用をかけたんでしょうか?
理由は単に街を美しくするためだけではなかったんです。
①衛生環境の改善
1つ目は、衛生環境を改善してコレラなどの感染症を防ぐことでした。
近代以前の都市では上下水道が十分に整備されておらず、不衛生な環境が疫病の流行を招いていました。
②人口増加への対応
そして2つ目は、産業革命によって増加した人口に対応するためです。
都市に人々が集中するなかで、交通や住宅、公共施設の整備が求められていました。
③国家の威信
3つ目は、国家の威信を示すためです。
近代国家にとって首都は「国の顔」でした。
壮麗な街路や建築物は、「この国は豊かで先進的な国家である」というメッセージを国内外に発信する役割を担っていたんです。
感染症を防ぐための衛生環境の改善、産業革命による人口増加への対応、そして国家の豊かさや威信を示すため。

ウィーンの近代都市計画
そして、パリと並んで注目されるのがオーストリアの首都ウィーンです。
ウィーンでは古い城壁が取り壊され、その跡地に環状道路であるリングシュトラーセが建設されました。
この道路沿いには国会議事堂や市庁舎、オペラ座、美術館など壮大な公共建築物が次々と建設されました。
以前は防衛のために必要だった城壁も、大砲の発達によって軍事的価値が低下していました。
そこで思い切って城壁を撤去して、その場所を近代国家にふさわしい文化空間へと変えていったんです。
こうしたパリやウィーンの都市改造は、ヨーロッパ各国に影響を与えていき、多くの都市がパリやウィーンをモデルとして発展していくことになりました。

ロンドンの地下鉄
そして、都市の発展を支えたのには交通網の整備もありました。
なかでも革命的だったのが“地下鉄”の存在でした。
ロンドンでは世界で初めての地下鉄が19世紀半ばに開業しました。
この地下鉄は地上の交通渋滞を大幅に改善することに大成功し、その影響を受けてパリやベルリンなどにも普及していきました。

しかし、当時の地下鉄は蒸気機関車がそのまま地下トンネルを走るというスタイルだったので、地下鉄駅には排煙が充満してしまい、「まるで地下の洞窟みたいだ」と言われてしまうほどでした。
こうした鉄道や地下鉄の整備によって、人々は職場と住居が離れていても移動できるようになっていき、大都市はさらに広がりを見せることになっていきました。

万国博覧会
近代のショーケース
各国が整備した近代都市を世界にアピールするために、舞台となったのが万国博覧会でした。
1851年には、ロンドンで世界初の大規模な万国博覧会が開催されました。
その後、万国博覧会はパリやウィーンなどでも次々と開催されるようになります。
万博では最新の機械や工業製品、各国の文化や技術が展示されました。

現代で言えば、世界最大級の技術展示会とテーマパークを合わせたようなイベントですね。
各国が発展と威信を見せつける場として開催された万博では、来場者たちが蒸気機関や巨大機械、電灯などを見て未来の社会に驚きを隠せなかったそうです。

文化の発信地:首都
近代都市は単なる経済活動の中心だけではありませんでした。
そこには常に新しい文化が集まっていたんです。
ロンドンの大英博物館やパリのルーヴル美術館をはじめ、多くの博物館や美術館、図書館が首都に整備されました。
さらにコンサートホールや劇場も建設されて、多くの市民が芸術に触れることができるようになりました。
それ以前は、こうした芸術は貴族や王だけの特権でした。
しかし、近代になると国民国家が成立していったことで、一般市民も音楽や絵画を楽しむようになり、市民文化が発展していきました。
こうして、都市は知識と文化の集積地になっていったんです。

SQ:なぜ首都には多くの文化施設が集まったのか?
首都には人口が集中していただけでなく、国家が文化を通じて国の発展や文明の高さを示して、人々を「国民」としてまとめようとした背景がありました。
なので、首都などの大都市に集まった文化施設は「国民」を教育する場になり、同時に国家の威信を示す存在でもあったんです。
首都には人口が集中していたうえ、国家が国民を教育し、国の発展や威信を示すために文化施設を整備したから。

新聞・デパート・映画館の登場
19世紀末から20世紀初頭になると、市民文化が成立していくうえで、新しい文化が誕生し始めました。
それが“大衆文化”です。
印刷技術の向上によって安く手に入る新聞が大量に発行されるようになり、100万部を超える新聞も現れました。
こうして、人々は国内外のニュースを毎日のように読むようになり、情報を簡単にキャッチできるようになりました。
また、都市には巨大なデパートも登場するようになります。
それまで買い物は個人の商店でするのが一般的だったんですが、デパートでは衣服や家具、化粧品、玩具まで何でも購入することができるようになりました。
さらに映画館のような施設もでき、視覚的に情報を得て楽しめる娯楽が人気を呼びました。

今日の私たちがスマートフォンで動画を見るように、当時の人々は映画館で最新の映像を楽しんでいたんです。

人々が大都市へ集まった理由
近代大都市には仕事があって、交通が便利で文化施設もありました。
そして、新聞や映画など最新情報にも触れることができました。
さらに、上下水道や公共施設が整備され、生活環境も改善されていきます。
こうした都市の魅力は農村の人々を引きつけて、より良い生活を求めて大都市へ移住していきました。
19世紀後半の都市化の特徴は、単に都市の数が増えたことではありません。
それはすでにあった「都市が急速に巨大化」していったことにありました。
ロンドンやパリ、ベルリン、ウィーンなどは何百万人もの人口を抱える巨大都市へと成長していったんです。

ちなみに、当時の日本の江戸も人口100万人を超える世界有数の大都市だったんですよ。
まとめ
MQ:近代化が進むなかで、大都市は人々の暮らしや文化をどのように変えたのか?
A:衛生的で交通網の発達した生活空間へと変化し、さらに文化や情報、娯楽が集中する場となった。その結果、人々の暮らし方や価値観そのものが大きく変わっていった。

今回はこのような内容でした。

次回からは、舞台をアジアへ移して西アジア地域の変容についてみていきます。ヨーロッパ列強の強大化によって、オスマン帝国に起きた動揺には具体的にどんな要因があったんでしょうか?
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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