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[13-4.3]近代諸科学①(人文・社会科学)

13-4.19世紀の欧米文化

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回は近代諸科学の発展の第1回目として「人文・社会科学」の分野をみていきます。人文科学と社会科学は、近代の社会にどんな影響を与えたんでしょうか?

それでは一緒にみていきましょう!

MQ:19世紀の人文・社会科学は、近代社会の形成にどんな影響を与えたのか?

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近代科学の19世紀

みなさんは「科学」と聞くと、電球や蒸気機関、あるいはダーウィンの進化論のような自然科学を思い浮かべるかもしれません。

しかし19世紀は、自然科学だけが発展した時代ではありませんでした。

「人間とは何か」 「社会はどうあるべきか」 「経済はどのように発展するのか」 「歴史はどのように研究すればよいのか」

こうした疑問に挑んだ人文・社会科学大きく発展した時代でもありました。

そして彼らの思想や学問は、現在の民主主義、経済学、社会学、歴史学にまで大きな影響を与えています。

19世紀の人文・社会科学

そして、19世紀「科学の世紀」とも呼ばれています。

もちろん、それ以前にもニュートンやガリレイなど偉大な科学者はたくさんいました。

しかし、18世紀までの研究は、個人の才能や努力に頼る部分が大きかったんです。

ところが、19世紀になると事情が変わります。

研究や教育を体系的に行う大学や研究機関が各国に整備され始めました。

その代表例が、ドイツのベルリン大学です。

ベルリン大学では単に知識を教えるだけでなく、「新しい知識を生み出す研究」が重視されていました。

この考え方は近代大学のモデルになっていき、やがてヨーロッパ各国へ広がっていくことになりました。

また、フランス革命期に設立された理工科学校(エコール=ポリテクニク)も、科学と技術を結びつける重要な高等教育機関になっていきました。

つまり、19世紀は、「天才個人が発見」する時代から、「大学や研究機関が継続的に研究を積み重ねて発展」させる時代へ移行した時代だったんです。

19世紀の科学世界
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弁証法哲学

カントのドイツ観念論哲学

人文科学の分野でまず重要なのが“哲学”です。

18世紀末、ドイツの哲学者カントは、人間が世界をどのように認識するのかを考えて、近代哲学の大きな転換点をつくりました。

このようなカントの思想は19世紀に受け継がれて、フィヒテヘーゲルがさらに発展させて「ドイツ観念論哲学」を作り上げました。

フィヒテ
ドイツ観念論哲学 カント フィヒテ ヘーゲル

ヘーゲルの弁証法哲学

そのなかでも特に有名なのがヘーゲルです。

ヘーゲル

ヘーゲルは「歴史」を単なる出来事の集まりではなく対立や矛盾を乗り越えながら発展していくものだと考えました。

この考え方を「弁証法哲学」と呼びます。

弁証法とは、ある考えや状態が生まれると、それに対する反対の考えや矛盾が現れ、その対立を乗り越えることで、さらに新しい段階へ進んでいくという考え方でした。

・ある考えが生まれる

・それに反対する考えが現れる

・両者の対立から長所を取り込んで、高レベルの新しい考えが生まれる

という発展の仕方です。

ヘーゲルは、このような発展の仕組みは個人の考え方だけでなく、国家や社会、さらには歴史全体にも当てはまると考えました。

例えば、歴史の中では戦争や革命、社会的な対立などが繰り返し起こります。

しかし、ヘーゲルにとってそれらは単なる混乱ではなく、人類がより自由で規律のある社会へ向かうための過程だと考えたんです。

この弁証法哲学によって、ヘーゲルはカント以来のドイツ観念論を完成させることになりました。

弁証法哲学 ヘーゲル
グシャケン
グシャケン

ヘーゲルの著書は難解な文章で有名でした。ある学生に「先生の本を理解できる人は世界に何人いますか」と聞かれると、「一人いるかどうかだ」と答え、さらに晩年には「その一人も私ではないかもしれない」と語ったほどでした。

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史的唯物論

マルクス

そして、このヘーゲルの思想に大きな影響を受けたのが、社会主義を主張したマルクスでした。

マルクスは、歴史を動かしているのは人々の考え方や理念ではなく「人々がどのように働き、生活に必要なものを生産しているか」だと考えました。

これを史的唯物論といいます。

たとえば、

古代・・・奴隷が働く「奴隷制社会」

中世・・・領主と農民による「封建社会」

近代・・・資本家が工場や機械を所有し、労働者が働く「資本主義社会」

が作り上げられて、マルクスは生産の仕組みが変化することで社会も変わると考えたんです。

さらに、資本主義社会では、利益を求める資本家と低賃金で働く労働者との対立が深まり、やがてより平等な「社会主義社会」へ移行していくと予想したんです。

グシャケン
グシャケン

当時の大学ではほとんど受け入れられませんでしたが、実際の社会運動の現場では絶大な支持を集めていたんですよ。

史的唯物論 マルクス

SQ:ドイツ観念論哲学はどのように発展したのか?

グシャケン
グシャケン

ではここで、ドイツ観念論哲学がどのように発展したのか、流れをまとめておきましょう。

SQ:ドイツ観念論哲学はどのように発展したのか?

カントによる人間の認識の仕組みの探究から始まり、ヘーゲルが対立や矛盾を乗り越えながら歴史や社会が発展すると考える弁証法哲学を唱え、ドイツ観念論哲学を完成させ、さらにマルクスに受け継がれて、史的唯物論へと発展していった。

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功利主義

SQ:なぜイギリスでは功利主義が生まれたのか?

ベンサム

産業革命が起きると、世界で最も早く近代化が進んだのはイギリスでした。

しかし、工場や都市が発達する一方で、貧富の差の拡大や劣悪な労働環境など、多くの社会問題も生まれました。

そこで人々は、「理想を語るだけでなく、実際に社会をより良くするにはどうすればよいのか?」を考えるようになります。

その代表的な思想が、ベンサム功利主義と呼ばれるものでした。

ベンサム

ベンサムは、「最大多数の最大幸福」社会の目標とするべきだと考えました。

これは、政治や法律を判断するときには、一部の人だけでなく、できるだけ多くの人々を幸福にできるかどうかを基準にするべきだという考え方です。

たとえば、新しい制度や政策を作るときも、

「その政策によって何人が利益を受けるのか」「社会全体にとって役立つのか」

を重視しました。

このように、イギリスでは産業革命によって生まれた新しい社会の課題に対応する中で、現実の社会を改善しようとする思想が発展していったんです。

功利主義はその代表例であり、今日の民主政治や社会制度にも大きな影響を与えています。

グシャケン
グシャケン

ベンサムは死後、自分の遺体を保存して展示するよう遺言を残しました。なのでロンドン大学には現在でも彼の保存された遺体が置かれているんですよ。

SQ:なぜイギリスでは功利主義が生まれたのか?

産業革命によって生まれた社会問題を解決し、社会全体の幸福を高める方法が求められたため。

なぜイギリスでは功利主義が生まれたのか? リスト
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実証主義と社会学

コント

19世紀になると、自然科学が大きく発展し、人々は「社会も科学的に研究できるのではないか」と考えるようになります。

その代表的人物が、フランスの哲学者コントです。

コント

コントは、人間社会も自然界と同じように観察や事実に基づいて研究できると考えました。

この考え方を実証主義といいます。

こうした考えのもとで、コントは社会を客観的に調査して、その仕組みや法則を明らかにしようとする“社会学”を生み出しました。

グシャケン
グシャケン

なので彼は、「社会学の父」と呼ばれています。

このコントによる実証主義は、1848年革命前後の革命運動の失敗後にさらに大きな影響力を持つようになります。

自由や理想を掲げた革命が期待通りの成果にならなかったことで、多くの知識人は「理想を語るだけでは社会は理解できないのではないか」と考えるようになりました。

そこで注目されたのが、現実の社会を観察し、事実に基づいて分析しようとする実証主義だったんです。

実証主義 コント

スペンサー

また、イギリスの思想家スペンサーは、ダーウィンの進化論の影響を受けて、生物が進化するように社会も発展すると考えました。

これを「社会進化論」といいます。

スペンサーは社会が単純な状態から複雑な状態へ発展していくと考え、国家による過度な介入に否定的な立場を取りました。

社会進化論は当時大きな影響を与えましたが、「強い国や民族が生き残るのは当然だ」という考え方と結び付いて、帝国主義や人種差別を正当化するために利用されるようになってしまいました。

スペンサー 社会進化論
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近代批判

ニーチェ

そして、19世紀後半になると、近代が本当に良い方向へ進んでいるのか疑問を持つ思想家も現れます。

その代表がドイツのニーチェという人物です。

ニーチェ

ニーチェは当時、それまで当たり前とされていたキリスト教の教えや近代社会の考え方を批判しました。

そして、「神は死んだ」という有名な言葉を残しました。

これは神が本当に死んだという意味ではありません。

人々が「神の教えは絶対だ」と考えなくなった時代の到来を示した言葉だったんです。

グシャケン
グシャケン

彼が現代に与えた影響は非常に大きく、今でも哲学を語るうえで欠かせない存在なんですよ。

近代批判 ニーチェ
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近代歴史学

ランケ

現在、歴史学では史料をもとに事実を検証することが当たり前ですよね。

しかし、昔は必ずしもそうではなかったんです。

歴史書の中には伝説や神話が多く含まれていました。

そのような状況で登場したのが、ドイツの歴史家だったランケという人物でした。

ランケ

ランケは史料を厳密に検証しながら、

「実際に何が起きたかを明らかにする」

ということを目指していました。

この史料批判の方法は近代歴史学の基礎になっていきました。

グシャケン
グシャケン

19世紀はナショナリズムの時代でもあったので、人々は「自分たちの民族の歴史」の真実を求めていたんです。

近代歴史学 ランケ
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古典派経済学と自由主義・保護主義

アダム=スミス

19世紀のヨーロッパでは、哲学や歴史学だけでなく、経済学も大きく発展しました。

産業革命によって工場生産や国際貿易が急速に広がるなかで、

「社会はどのように豊かになるのか」「国家は経済にどこまで関わるべきなのか」

といった問題が真剣に議論されるようになります。

その中心となったのが、18世紀のイギリスでアダム=スミスによって体系化された古典派経済学でした。

アダム=スミスは、人々が自由に生産や商売を行えば、市場全体が活発になり、社会全体も豊かになると考えました。

グシャケン
グシャケン

彼は経済活動を政府が細かく統制するのではなく、市場の働きを尊重するべきだと主張したんです。

古典派経済学では、富の源泉は人間の労働で、人々が自由に競争できる環境こそが経済成長につながるとされたので、国家による規制や介入はできるだけ少ない方がよいと考えられました。

当時のイギリスは「世界の工場」と呼ばれるほど強力な工業力を持っており、自国の商品を世界中に輸出していました。

そのため、関税を低くして各国との自由な貿易を進めることは、イギリスにとって大きな利益をもたらすことになりました。

古典派経済学 アダム=スミス

マルサス、リカードの自由主義

そして、このアダム=スミスの後を継いだ経済学者が、マルサスリカードでした。

マルサスは『人口論』を書いて、人口は急速に増加する一方で、食料生産はそれほど速く増えないため、将来的に貧困や食糧不足が起こると考えました。

マルサス

一方のリカードは、自由貿易の利益を理論的に説明した人物でした。

リカード

彼は各国が得意な産業に特化して貿易をすれば、世界全体の生産量が増えて、全ての国が利益を得られると考えました。

この考え方は、後の自由貿易主義の理論的な基礎になっていき、19世紀のイギリスの経済政策にも大きな影響を与えました。

マルサス リカード

リストの保護主義

しかし、この自由競争を重視する考え方が、全ての国に当てはまるわけではありませんでした。

当時のドイツは、イギリスに比べて工業化が遅れていました。

もし、発展途上のドイツ企業が、巨大なイギリス企業と同じ条件で競争すれば、多くのドイツ企業は成長する前に潰されてしまう可能性がありました。

そこで登場したのが、ドイツ経済学者のリストでした。

リスト

リストは、自由競争は絶対に正しいわけではなく経済政策は発展段階によって変えるべきだと考えました。

彼は「幼い産業を守る」という考え方を唱えて、発展途上の国では国家が保護関税をかけて外国製品の流入を抑え自国の産業を育成した方が良いと主張しました。

グシャケン
グシャケン

例えるなら、大人と子どもを同じルールで競争させるのではなく、子どもが成長するまでは保護するべきだという考え方ですね。

このようなリストの思想は、後のドイツの工業化や経済政策に大きな影響を与えました。

そして、経済発展の仕組みは各国の歴史的条件によって異なると考えたため、彼の理論は「歴史学派経済学」と呼ばれることもあります。

リスト 保護主義

マルクスの資本主義批判

さらに19世紀後半になると、古典派経済学そのものを批判的に見直そうとする動きも起きます。

その代表が、さきほども紹介したマルクスです。

マルクスはアダム=スミスやリカードの経済学を学びながらも、資本主義社会では資本家と労働者の間に大きな格差が生まれることに注目しました。

そして、彼は資本主義を詳しく分析し、その矛盾から資本主義に代わる社会主義社会の実現を目指すことになりました。

グシャケン
グシャケン

このようにマルクス経済学は、古典派経済学を出発点としながらも、それを批判的に発展させた理論だったんです。

マルクス 資本主義批判

このように19世紀の経済学では、

「自由な市場に任せる」 or 「国家が産業を保護する」 or 「資本主義そのものを見直す」

という3つの大きな考え方が生まれました。

グシャケン
グシャケン

そしてこれらの議論は、現代の自由貿易、保護主義、社会保障政策などにもつながっていき、私たちの社会を考えるうえで今なお重要な意味を持っているんです。

19世紀の経済学 まとめ
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まとめ

MQ:19世紀の人文・社会科学は、近代社会の形成にどんな影響を与えたのか?

A:人間や社会を科学的・体系的に理解する学問を発展させ、民主主義や社会改革、近代歴史学、経済政策の基礎を築いた。そして、その成果は現代社会の制度や価値観の形成に大きな影響を与えた。

グシャケン
グシャケン

今回はこのような内容でした。

次回は、近代諸科学の2回目として「自然科学と実用工業」についてみていきます。自然科学の発展・成果はなぜ広がっていったんでしょうか?

それでは次回もお楽しみに!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

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グシャケン
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