世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。
はじめに
古代文明もオリエントから始まり、南アジアを経てついに東アジアまで広がってきました。
ここまで来るとグローバル感が出てきますね。
今回の初期文明はその後の秦や漢といった代表的な大国の基礎となっていきます。
日本文化にも影響を与えている馴染み深い中国古代文明。そのルーツを一緒に見ていきましょう!
MQ:東アジアの気候の違いは、各地の生活にどのような影響を与えたのか?
今回の時代はここ!
東アジアの環境と人々
まず東アジアとはどこを指すのでしょうか?
主に東アジアは、現在の中国にあたるユーラシア大陸の東側とその沿岸にある島々を指します。
具体的には、中国、朝鮮半島、ベトナム北部、日本列島のあたりを指す範囲です。
SQ:東アジアの歴史はどのような環境で作られたのか?
東アジアの気候は中国に流れている2本の川を基準に考えると非常にわかりやすいです。
それが北の黄河と南の長江です。略図を使うなどすると視覚的にも見やすくなります。
北の黄河流域は、降水量が比較的少ない地域なので畑作が中心になっています。
中国東北地方や朝鮮半島北部は緯度が高く寒冷なので、畑作は難しく狩猟・採集が生活の中心でした。
こちらは現在では乾燥に強い小麦などが採られていますね。
対して南の長江流域は季節風(モンスーン)の影響で、降水量が比較的多く湿潤な気候のため稲作が中心でした。
ベトナム北部や朝鮮半島南部、日本列島もこれに当てはまりますね。日本はもちろんのこと、ベトナムの伝統料理のフォーなども米が使われてますもんね。
簡単に東アジアをまとめるとこんな感じです。
黄河流域・・・降水量が少なく寒冷、畑作が中心だがさらに北部は狩猟・採集が中心
長江流域・・・降水量が多く湿潤、稲作が中心
東アジアと隣り合わせのモンゴル高原には草原が広がっていて、移動しながら物々交換で生計を立てる遊牧地帯になっています。
タリム盆地の砂漠にはオアシスがあり、そこでは灌漑農業も行われています。
こうした草原やオアシスは人とモノの移動が活発なので、中国文明にも進入してきて度々影響を与えていくことになります。
これらの人々があの「オアシスの道」や「草原の道」、「海の道」などのシルクロードを作っていくんですね。
この多様な環境と人々の交流が現在、多くの言語や文化を形作っていきます。今の中国だけ見ても民族だけで、、、
・漢民族(約9割)・ウイグル族・チベット族・チワン族・朝鮮族・回族 など計55の少数民族
まさに多様性ですね。
現在では一部の少数民族は自治区が設定されており、その意義や独立を求めて中国国内で運動が行われています。歴史がわかるとこういったニュースも理解できるようになるので興味深いですね。
中国文明の発生
この古代中国文明も2本の大河(黄河、長江)を中心に発展します。
まさにこれですね。
前6000年頃になると、黄河流域でアワなどの雑穀の栽培が始まり、長江流域でも稲が栽培されるようになります。
今から約8000年前ですから、その時代から農耕があったなんですごいですね。笑
仰韶文化
そして前五千年紀には黄河の中流域で新石器文化の遺跡が発見されます。
その遺跡は、彩文土器(彩陶)が特徴でその発見地から仰韶(ぎょうしょう)文化と呼ばれています。
さすが中国文明、漢字が難しいですね。笑
この集落には環濠があり、竪穴式住居に住んでいました。遺跡から強力な指導者はいなかったと考えられています。
同じ時代に長江では人工的な水田による稲作中心の河姆渡(かぼと)文化が発達しました。
東北では狩猟・採集と合わせて雑穀の栽培が行われてました。祭祀に使う玉器などが発見されていて、祭祀を通じて地域が統合されていたことがわかっています。(紅山文化(こうざんぶんか))
そして前三千年紀には、黄河流域に西から伝わった麦が栽培され、羊などの飼育も始まりました。現在でも北部では小麦が栽培されていますね。
竜山文化
この頃から黄河中・下流域で黒陶が特徴の竜山(りゅうざん)文化が出現します。この文化も黒陶が発見された竜山鎮からつけられました。
この竜山文化では、大規模な城壁をもつ集落が現れます。
SQ:竜山文化の集落にあった大規模な城壁は何を意味するか?
城壁は何を意味するのか?
当時の城壁は土を高く積んで固めたシンプルな「土壁」でした。
それは以前にも「エーゲ文明」でも触れましたね。そう、城壁は敵からの攻撃を防ぐためにあったんです。
各集落は人口の増加に伴い、資源や利権を奪い合う形で闘争していたんですね。
戦うということは、勝敗があり負けた側は勝った側に支配されることになります。
有力な集落が大規模化し、周辺に小規模集落を従える状態になっていくと最終的に何にたどり着くでしょうか?
そうですね、そこから国家が誕生し文明がつくられていくんです。
この竜山文化は周辺の文化を吸収していき、発展しながら次回で扱う黄河文明の殷(いん)を生み出すことになります。次回の[15]殷・周をご覧ください。
まとめ
MQ:東アジアの気候の違いは、各地の生活にどのような影響を与えたのか?
A:黄河流域の少雨地域では雑穀栽培が中心で、のちに麦の栽培や羊の飼育がおこなわれた。東北部の寒冷地帯では雑穀に加えて狩猟・採集も行われていた。長江流域では温暖で湿潤な気候を活かして、人口水田を利用した稲作がおこなわれた。
今回はこのような内容でした。
このように東アジアではさまざまな環境から各文化が誕生しました。それらが統合されていき国家が誕生します。
なので、中国文明は長い歴史を通して多様的だからこそ複雑な興亡を歩んでいくことになります。
中国文明は長いですが、気長に一緒に頑張っていきましょう!
次回は今回の文化を吸収して誕生する中国文明のルーツ「殷・周(しゅう)王朝」です!お楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
この記事で使用した授業スライドのダウンロードはこちら↓
・『世界史の窓』、世界史の窓 (y-history.net)
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社
コメント
今回も分かりやすい解説をしていただきありがとうございます!
そう言っていただきありがとうございます。今後も精進していきますので、何かご指摘があれば教えてください。