[1-4.5]春秋・戦国時代の文化②(諸子百家)

1-4.中国の古代文明

世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。このブログから世界史を深めてくれると嬉しいです。「問い」の設定や記事の最後にはパワーポイントもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!

※1記事で教科書0.5~1ページほどの文量です。実際の授業は記事複数分に相当すると思いますので、MQ、SQの設定などは各自で自由にアレンジしてください。

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

前回は各国が富国強兵策をめぐらす中で、「鉄器と青銅貨幣の普及」によって社会は大きく変化したという話をしましたね。

今回は、そんな戦国時代で「国や人はどうあるべきか。」について考え、新思想をPRした人たちについて授業をやっていきます。

それではみていきましょう!

MQ:諸子百家にはどのような考え方があったのか?

今回の時代はここです!

出典『詳説世界史研究』山川出版社

ここも前々回から同じですね。(笑)

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諸子百家の登場

富国強兵

春秋・戦国時代以前は、氏族集団の中で生活し、一族のルールである宗法に従って生きていました。

宗法についてはこちら!

春秋・戦国時代についてはこちら!

しかし、実力主義の社会になってより大きな国や地域に所属するようになります。そうすると、、、

これからは何を大事にして生活すればいいんだろう?

という問題が出てきました。加えて戦乱の世なので、

王

どうすれば他国より強い国家を作ることができるんだろうか?

こういった「どう生きるべきなのか、どういう国家づくりがいいのか。」などの課題に対して、新思想を考案して民衆や国家にPRして評価を得ようとした人々が現れました。

その人々をことを諸子百家(しょしひゃっか)といいます。

諸子百家とは思想家や学者の集団をさし、「子」は「先生」、「百」は「多い」という意味があります。簡単に言い換えると「さまざまな考え(学派)を作り出した、たくさんの先生(思想家)たち」みたいな感じでしょうか。

諸子百家

なので諸子百家の人物はみんな「〇〇子」と名前についていますが、これは「〇〇という先生(学者)」という意味なので本名ではありません。みんな語尾に「子」がついているので覚えるの大変ですよ。(笑)

主に今回紹介する諸子百家たちは以下の通りです。

諸子百家

儒家(じゅか) ●法家(ほうか) ●墨家(ぼっか) ●道家(どうか) ●兵家(へいか) ●縦横家(じゅうおうか) ●陰陽家(いんようか)

それではそれぞれどのような考えをしていたのでしょうか?見てきましょう!

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儒家(じゅか)

まずはこの儒家(じゅか)です。創始したのは春秋時代の孔子(こうし)という人物です。

孔子

彼の言動を弟子たちがまとめた「子いわく、、、」から始まる『論語(ろんご)』が有名ですね。国語の授業で聞いたことがある人も多いんではないでしょうか。

彼が大事にしていたのが、

孔子
孔子

周の時代の徳を大事にする政治いいよね。良い行いに対して礼をちゃんとすれば社会は良くなるはずだよ。とくかに徳を積もう!

孔子が重要視したのが、この「徳による統治」と「礼を通した親子・兄弟の肉親愛」です。

まずは統治者(王、親など)が良い行い(徳、仁)をして、それに対して被統治者(民衆、子など)がそれに見合うお返し(礼)をすることで、社会秩序が良くなって良い国、家族になれることを説きました。

徳、礼についてはこちら!

要は「上の人が良いことすれば、自然と下の人もそれに付いてくるよ。」と考えたのです。

儒家 孔子

この考え方が日本の「道徳」に影響を与えています。「礼儀作法」や「年配者を敬おう」という考え方とかですね。

孔子は当時は各国ではこの考え方は受け入れられませんでした。だって春秋・戦国時代ですからね。殺伐とした時代には合わなかったのでしょう。

しかし、孔子はとてもたくさんの弟子に恵ました。フリーターなのにそれだけ慕われたのですから、みんな戦乱の殺伐さに疲れていたのでしょう。

この孔子の思想は、戦国時代の孟子(もうし)や荀子(じゅんし)に継承されました。

<strong><span class="bold-blue"><span class="fz-24px"><span class="fz-20px">孟子</span></span></span></strong>
孟子

ますは統治者が徳で治めるべきだ!仁を重視した統治こそ王道!

<strong><span class="fz-20px"><span class="bold-blue">荀子</span></span></strong>
荀子

人は怠ける生き物だ!だから下の者の行いをしっかりさせるべきだ!礼を重視する規律

孟子の考えを性善説荀子の考えを性悪説といいます。

儒家 孟子の性善説、荀子の性悪説
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法家(ほうか)

法家
法家

徳のある政治をしても民衆を統治するのは難しいんじゃない?やっぱり人はルールがないと好き勝手しちゃうから、厳しく管理しないと!

儒家に対してこのような考えを主張したのが法家(ほうか)の人々です。代表的な人物は商鞅(しょうおう)、李斯(りし)、韓非子(かんぴし)です。

法家は王の権力を背景に罰則を定めた厳しい法をつくって、その法を徹底的に守らせるのが良い統治者であり、良い国造りだとしました。

儒家のところで出てきた荀子の性悪説に似ていますね。それもそのはず、法家の商鞅はこの荀子の弟子だったんです。

孔子(儒家)
孔子(儒家)

良き国家とは徳のある政治だ。

法家
法家

良き国家とは厳格な法によるシステムだ。

とまあ、法家は徳のある統治者になろうという理想ではなく、現実主義にたって常に同じ統治ができるシステムをつくろうとしたのです。

法家が目指したのはいわゆる法による統治、法治国家です。

法家

現在のみなさんにはこの法家がなじみ深いですよね。だって日本も憲法とその法律に従って統治している法治国家ですから。

戦国時代に法家を採用して徹底した法治国家を築いたのが秦でした。漫画『キングダム』でもそれがわかるシーンがあります。漫画では李斯が「法の番人」と呼ばれて政治の中心人物として登場しています。

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墨家(ぼっか)

春秋・戦国時代は戦乱の世です。なので、、、

もう殺し合いはこりごりだ!この戦乱を早く止めるべきだ!

という人々が現れます。この非戦論や平和主義の立場からできたのが墨家(ぼっか)です。創始者は墨子(ぼくし)です。

墨子

この墨家は非戦論や平和主義の立場から、武力解決である戦争ではなく血縁をこえた人類愛を説く非攻(ひこう)と兼愛(けんあい)を主張しました。要するに

墨子
墨子

愛に家柄や上下関係は必要ない。みなを愛せば闘わなくていいんだ。

しかし、戦国時代にはこのピースフルな考えはなかなか国家に聞いてもらうのは難しいですよね。

なので墨子は兼愛だけではなく、合理的な科学技術や護身術も重視して弟子たちに叩き込みました。墨子が亡くなった後も思想や技術は継承されていきました。

ある国の都市が、敵国に攻撃される際に無償で駆けつけて城を一緒に守るなどの自警活動もおこなっていたんです。自分たちなりに実力をつけて戦国時代に抗っていたんですね。

墨家
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道家(どうか)

戦国時代は、いかに敵国を負かして領土を拡大できるかが重視されていました。やらないとやられますからね。

なので、国家の王や人々は勝利や利益に貪欲になっていきます。

それに対して是非(ぜひ)を投げかけたのが道家(どうか)の人々です。代表的な人物は老子(ろうし)と荘子(そうし)です。

老子
荘子

この道家は他の諸子百家の「人はどう生きて、国はどう治めるか。」の考えそのものを否定して、何もせず自然に任せるという無為自然(むいしぜん)を主張しました。

道家
道家

こうするべきだと考えると人は欲望にかられて争いがおこるのだ。何もせず農村で水のように運命の流れに任せて暮らせばよいのだ。

とまあ、こんな感じでしょうか。とにかく「考えずに自然に生きろ。そうすれば争いはおこらなさい。」と主張したかったんですね。

道家

この道家の考えから後に、統治者(君主)が社会に干渉しないことを理想とする黄老(こうろう)の政治思想にも影響を与えました。法の支配ではなく、統治者の無欲さ、公平さが大事という考え方です。

黄老(こうろう)・・・伝説上の聖人「黄帝(こうてい)」と道家の始祖「老子」の教えを結び付けたものとされている。

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兵家(へいか)、縦横家(じゅうおうか)、陰陽家(いんようか)

兵家(へいか)

戦国時代に戦で勝つための兵法や軍備のあり方、戦略について考えを主張した人々です。

代表的な人物は孫子(そんし)、呉子(ごし)です。

孫子
呉子

孫子の『兵法』などは、現在でもビジネスや成功のメゾットとして応用され、本屋でもたくさん並んでいるんです。

日本の戦国時代の武田信玄が掲げていた「風林火山」も孫子の『兵法』からとられたものなんですよ。江戸幕府を開いた徳川家康も兵法を愛用して家臣に配ってたらしいです。

現代でも、ソフトバンクの孫さんも愛読してアレンジを加えた独自の『兵法』を書籍で紹介していたりします。

現在でも読み継がれるベストセラーなのでみなさんもぜび読んでみてください。マンガ等の読みやすいものもあるのでおすすめです。

呉子(ごし)は楚に仕えて強国へと押し上げた人物として有名です。宰相という王の次に偉い大臣まで昇り詰めました。

縦横家(じゅうおうか)

各国の政治の策略法を主張した人々です。代表的な人物は蘇秦(そしん)と張儀(ちょうぎ)です。

戦国時代の後半は秦が台頭してきて強国化他の6国がどう秦と付き合っていくかを議論、主張したのが縦横家たちです。

<strong><span class="fz-20px"><span class="bold-blue">蘇秦</span></span></strong>
蘇秦

秦に対して6国が連合して対抗すべきだ!(合従策

<strong><span class="bold-blue"><span class="fz-20px">張儀</span></span></strong>
張儀

生き残るためには秦と個別で同盟を結ぶべきだ!(連衡策

このように議論しあっていたんですね。実際には蘇秦の合従策(がっしょうさく)が採用されて秦が追い込まれた時もありましたが、蘇秦が亡くなった後は張儀の連衡策(れんこうさく)によって個別に同盟を結んでいくことになりました。

陰陽家(いんようか)

自然現象の変化を人間の社会に当てはめようと研究した人々です。代表的なのは鄒衍(すうえん)です。

物質の根源は木・火・土・金・水の5要素からできていて、その5つが交替して変化していると考えた五行説を説きました。

これを社会にあてはめると、「周王朝は火の属性だったので、それに勝った秦王朝が水の属性。」みたいな感じです。

なんだかピンときませんが、自然現象や天体の動きを研究して、科学的に社会現象を証明しようとしていたんでしょうね。

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まとめ

MQ:諸子百家にはどのような考え方があったのか?

A:徳治政治を主張する儒家や、それに対して法治主義を唱える法家などが統治法を主張した。かたや平和主義に基づく墨家や、無為自然を説く道家などがそれらに異議を唱えた。他にも実践的な戦術を提供した兵家や政略の縦横家、科学的に証明しようとした陰陽家などの考えも現れた。

今回はこのような内容でした。

戦国時代は、各国に分割されたことでさまざまな新思想が誕生した時代でもありました。みんな「国を強くしよう!」とか「もっと良い世の中にしよう!」と考え、諸子百家が生まれましたんです

次回の古代中国はしばらく先になりますが、とうとう戦国時代を統一する国家が登場します。お楽しみに!

次回は場所が飛んで古代の南北アメリカ文明をみていきます。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

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