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[1-2.1]シュメール人の都市国家

1-2.古代オリエント文明

世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後にはパワーポイントもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。

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はじめに

グシャケン
グシャケン

今回から古代オリエントについて授業をやっていきます。まず初めはメソポタミアです。どのような民族が古代文明を築いたのか、富や権力の集中についても解説していきます。

MQ:なぜ都市国家に富や権力が集中したのか?

古代オリエント目次
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オリエントとは?

「オリエント」と急にいわれても、ほとんどの方はピンときませんよね。

オリエントとは、一言でいうと「日(太陽)の昇るところ」という意味なります。

場所でいうと現在の「中東」付近を指す地域です。

太陽が昇るということは「東の方にあるよ。」という意味ですが、どこからみて「東」なんでしょうか?

それはズバリ「ヨーロッパ」からみた「東の方」なんですね。

オリエントとは?

ラテン語の「オリエンス(東)」が語源になっていて、つまりラテン語を使っていた古代ローマ帝国がつけた呼称だそうです。

この地域の特徴は、基本的には平地で、砂漠・草原・岩山が多く、雨が少なく極めて高温です。

一言で表すと暑くて乾燥しているです。みなさんが想像するTHE・乾燥地帯ですね。

この歴史探究では、オリエントは次の3つの地域に分類して授業を進めていきます。

メソポタミア(小アジア(現在トルコのあたり)も含む)

エジプト

シリア・パレスチナ

古代のオリエント 出典『詳説世界史探究』山川出版社

これらの地域が複雑に絡み合ってくるので、合間あいまに盾と横の関係を整理しながらみていきましょう!

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メソポタミア文明の特徴

まずはメソポタミア文明から見ていきます。

実はこの文明には、みんなも普段から使っている文化がいくつかあるんですね。おもしろいので楽しみにしていてください。

まずメソポタミアって何ですか?というところからです。

この意味は「川の間の地域」、つまり川に挟まれた地域のことです。ピアノの「メソピアノ」や「メソフォルテ」のように「メソ」は“間(あいだ)“を指しています。

そしてこの地域を挟んでいる川はティグリス川(またはチグリス川)とユーフラテス川です。

古代のオリエント 出典『詳説世界史探究』山川出版社 

たしかに挟まれてますね。

これらに挟まれた地域には、以前に紹介した「肥沃な三日月地帯」が広がっており、季節的な増水を利用した灌漑農業(かんがいのうぎょう)が営まれていました。

ここでは高度な文明が発達しますが、その富を求めて周辺から遊牧民や山岳民が絶えず侵入・移住を繰り返します。

だって周りは草原や砂漠ですからね。

そりゃ水と食糧が安定して手に入るなら欲しいですよね。

これらによって国家や王朝の交替が激しかったのも大きな特徴になっています。

古代オリエント 各地域の特質

なのでこれらに注目しながら具体的な歴史をみていきましょう!

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シュメール人の都市国家

メソポタミアの年表 出典『詳説世界史研究』山川出版社
古代オリエントの流れ

オリエントで最初に登場するのが、シュメール人と呼ばれる民族です。

まあ、聞いたことない人の方が多いですよね。(笑)

シュメール人の風貌 資料:「世界史の窓」https://www.y-history.net/appendix/wh0101-009.html

遺跡に描かれた絵では、目が大きいのが特徴です。ネット検索するとトラウマになりそうな強烈な画像も出てくるので、ぜひ検索してみてください。笑

グシャケン
グシャケン

話を戻して、なぜシュメール人が最初に登場したのでしょうか?

それは・・・文字が残っているからです。

確認できる民族として1番目であって、本当はその前に他の文明があったかもしれませんね。

ちなみにその文字とは楔形文字(くさびがたもじ)であり、シュメール人以後もメソポタミアで継続して使われました。

楔形文字 出典『詳説世界史研究』山川出版社

この民族は民族系統不明で約4700年前(紀元前2700年)までに、メソポタミアに多くの都市国家を築きました。

代表的な都市国家は、ウルウルクです。

場所はユーフラテス川の下流です。上の地図「古代のオリエント」から確認してみてください。

特にウルでは、都市の神がまつられた聖塔(ジッグラト)やスタンダード(国家のシンボル)?などの遺跡がみつかっています。

ジッグラト(聖塔) 出典『詳説世界史探究』山川出版社
ウルのスタンダード 出典『詳説世界史探究』山川出版社

都市国家は各都市の守護神のモノとされ、王は神官のトップとして神の権威を使って神権政治をおこないました。

前にもお話しした、農耕期や鋳造技術の独占で得た権威ですね。

シュメール人都市国家は、階級社会の中で大規模な公共事業によって農業生産を高め、交易を通じて多くの富を集めて繁栄しました。

しかし、都市国家間での覇権争いや周辺民族の侵入が激しくなっていきます。

シュメール人が衰退していく中で、前24世紀にセム語系のアッカド人によって征服されてしまいます。

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アッカド人の征服

アッカド人はアラビア半島方面から移住し、シュメールの北に接する形で定住していました。

やがてシュメール人の都市国家との争いで徐々に頭角をあらわしていきます。

そこで登場するのが、サルゴン1世です。

サルゴン1世の頭部像 出典「世界史の窓」https://www.y-history.net/appendix/wh0101-013_1.html

世界史で初めての人名ですね。

この人は自分のことを「戦いの王」と名乗っていました。(でも伝説っぽい内容も多いとか)

何か豪快な人物を想像してしまいますね。(笑)

彼は前2300年ごろに、メソポタミア南部を支配してアッカド王国を建国します。

その後、交易路を押さえ、シュメール・アッカド両方の都市国家を統一することに成功しました。

アッカド王国の統一
サルゴン1世
サルゴン1世

これで我も「戦いの王」であり「全土の王」である。

これにより、メソポタミア初の統一国家が誕生しました。

そりゃ自分のことを「戦いの王」と呼びたくなりますね。(笑)シンプルにすごいことです。

その後は11代、約180年の繁栄を築きます。

しかし、都市国家の離反や山岳民のクディ人の侵入によって滅亡してしまいます

その後は、クディ人に約125年間も支配を受けることになりました。

せっかく苦労して統一したのに残念ですね。トホホ・・・

ちなみにこの王国が使っていたアッカド語は統一後、メソポタミアの公用語として使われます。

言語を統一させるのは統一国家の常套(じょうとう)手段です。

だって言葉が違うと政治やモノの取り引きがスムーズに浸透しないですからね。

ですが、アッカド人は文字を持っていなかったため、シュメール人の楔形文字がそのまま継承されました。

統一国家の運営で記録(文字)は必須ですからね。

これに関してはシュメール人も「ほっ」としたかもしれませんね。(笑)

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まとめ

Q:なぜ都市国家に富や権力が集中したのか?

A:王を中心に、神官・役人・戦士などが都市の中心の神をまつり、政治・経済・軍隊の権力を握った。加えて耕作期や金属器鋳造などの知識・技術を独占し、人々を支配したため。

今回はオリント文明の最初、メソポタミア文明について講義しました。

まず、オリエントはヨーロッパからみて「日の昇るところ」でしたね。

メソポタミアは、ティグリス川・ユーフラテス川の間に挟まれ、穀物に恵まれた地域です。

そこで、さまざまな民族が入り混じる複雑な歴史が始まります。

グシャケン
グシャケン

今回はこのような内容でした。

アッカド人の王国が滅びてからは、再びシュメール人がウル第3王朝をたてるなど、再興を果たしますが、そう長くは続きませんでした。

しかし!

次回では、メソポタミアを再統一する王朝が現れ、画期的な方法で国の繁栄を支えたあの人物が登場します

みなさんも中にも聞いたことがある“あのセリフ“です。乞うご期待!

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!

「愚者(ぐしゃ)は経験から学び、賢者(けんじゃ)は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

この記事で使用した授業スライドのダウンロードはこちら↓

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