世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。
はじめに
前回はこのような内容でした。
今回は遊牧文化が入ってきた魏晋南北朝で、いったいどのような文化が形成されたのかをみていきます。現在の中国でも盛んな仏教や道教が盛り上がった時代でもあります。
それではみていきましょう!
MQ:魏晋南北朝時代の貴族とは何か?そしてなぜ貴族が台頭したのか?
今回の時代はここです!
「貴族」の出現
魏晋南北朝時代の前に中国を統治していた王朝はどこか覚えていますか?
そうですね、後漢が約200年もの間統治してましたね。
この後漢の末期には、農民や豪族の反乱が相次いで世の中は混乱していました。地方は中央政府の目が行き届かないようになったので、豪族(地方の有力者)が村の管理(生産や自衛)をおこなうようになっていきます。
豪族は戦によって土地を失ったり、売り払った人々に土地を貸して荘園(しょうえん)を経営するようにもなり、さらに勢力(土地、人)を拡大して、地方の指導者として権力を上げていきました。
荘園(しょうえん)・・・有力者(豪族、寺院)がもつ私有地。小作人に土地を貸して利益を得る小作制によって大土地農園を経営していた。主に日本では奈良時代~戦国時代(8~16世紀)に存在していた。
漢から始まった郷挙里選によって、豪族たちは政界へと進出していましたが、三国時代の魏で始まった郷挙里選にかわる官吏(官僚)の採用制度である九品中正(きゅうひんちゅうせい)は、豪族たちの政界進出をさらに加速させていきました。
この九品中正とは、各郡の出身者1名に「中正」という役職を与えて、その他の出身者に9段階の等級をつけて、政府はその等級に応じて役職を与えるという制度です。
SQ:九品中正は郷挙里選と比較してどのような特徴があるか?そしてなぜ豪族の進出を招いたのか?
郷挙里選とは「地方の有力者から推薦された者」が官吏になる制度にことです!
そうですね。それに対して九品中正とは「役人が付けた品等」に合わせて官吏の役職が与えられる制度でしたね。この違いとは何ですか?
うーん、「地方の有力者が決める」と「国によって決められた役人が決める」という部分に違いがあると思います。
まさにそこです!郷挙里選は「地方有力者の推薦」だからこそ、豪族ばかりが進出するハメになりました。そこで、九品中正では役人という客観的な視点で優秀な人材を探し出そうとしたんです。
しかし、この九品中正にも落とし穴があったんです。
豪族からすれば「あの役人を買収して一族に高い品等を付けてもらおう。」、とこう思ってしまうわけです。なので等級を定める役人に対して取り込みや賄賂などが行われるようになってしまいました。
結果、豪族ばかりが上級官僚を独占するようになり、名門化した一族は貴族と呼ばれるようになりました。中国における「貴族階級」の誕生です。
せっかく改善しようとしたのに郷挙里選の二の舞になってしまいましたね。トホホ、、
ちなみに西晋の時代になると「上品に寒門無く、下品に勢族なし」と言われるようにまでなります。
上品に寒門無く・・・上の等級の人々には、貧しい家の出身者がいない。
下品に勢族なし・・・下の等級の人々には、有力者がいない。
九品中正という制度をよく表していますね。
土地改革(均田制)
こうして貴族たちは政治で幅をきかせるようになるわけですが、、、
SQ:貴族階級の台頭によっておこる問題とは?
貴族は各地に荘園を経営している大土地所有者です。いつの世の中でも、こうした富裕層と国の間ではある攻防が繰り広げられます。
それは何でしょう?
答えは「税金」です。
うまく節税できる方法ないかな。。。
どうにかして税収を確保したいな~。
いつの時代も富裕層は「いかに節税(時には脱税)できるか。」を試行錯誤し、国は「どうにかして税収を確保したい。」と考えているんです。現代でも税金逃れの「タックスヘブン」などが問題になっていますね。
この魏晋南北朝時代は、貴族が経営している荘園の詳しい内情は管理している貴族だけが知るものでした。上級官僚を貴族が独占している国は、私有地である荘園には強く踏み入れることができなかったんです。
これでは農民からの税収を確保しようと思っても貴族の荘園が弊害となって上手くいきそうになありませんね。
そこで国が確実に税収を確保できるように行った改革が、北魏でおこなわれた均田制(きんでんせい)です。
この制度は、国が農民に国有地を分け与えて徴税を管理するという制度です。
これによって国は直接「誰がどこで、どの規模の田畑」を保有しているかを把握することができるので、税収が安定し戸籍管理も容易になるという仕組みでした。
狙いは安定した税収の確保と貴族の大土地所有の制限です。
均田制の内容(一部抜粋)はこちら↓
・丁男(15歳~69歳の男性)に露田(穀物生産用地)を40畝(ぽ)、女性には20畝を与える。奴婢にも同額(男40畝、女20畝)をわりあてる。
・耕牛の所有者には、1頭につき30畝をわりあてるが、4頭までに限る。
・露田は70歳に達するか、死亡したときは国家に返さなければならない。
・露田以外に、男子には20畝の「桑田」がわりあてられる(絹の産地)。これは国家に返す必要はない(世襲)。
・桑の適さないところ(麻の産地)では桑田に代わって「麻田」が割り当てあられる(男10畝、女5畝)。これは露田と同じく国家に返さなければならない。
・地方官には地位に応じて「公田」が支給される。
※1畝=30坪=テニスコート半面分 40畝=1,200坪=東京ドーム1個分
引用:「世界史の窓」均田制 (y-history.net)
一般男性だと東京ドーム1個分の田畑はかなり広いですね(笑)
このように均田制の導入によって、貴族の大土地所有(荘園)を制限しようとしましたが、何かと貴族に有利な条件があったりと、その効果は限定的だったようです。
例えば、多くの奴婢や耕牛を抱える荘園所有者の貴族にとって、奴婢や耕牛にも土地が支給されることは、貴族の収益拡大につながりました。しかも税負担も奴婢や耕牛は極端に少なく、節税効果もありました。
先ほども言いましたが、政府の上級官僚は貴族が独占していましたからね。自分に不利な政策は避けたいのが人間です。
江南の開発
魏晋南北朝時代は遊牧民の進出によって、五胡十六国が興亡するなど、主に華北で戦乱が繰り広げられました。
それによって民衆は戦乱を避けるために、長江中・下流域への大移動が起こりました。これもいつの時代でも起こることで、戦争が起こると人々は安全な地域に移ろうとするんです。
この移住をうけて、この江南地域では貴族たちを中心に開発が行われていくことになります。
この開発が、江南が現在にいたるまで豊かな穀物生産地となっているんですね。
まとめ
MQ:魏晋南北朝時代の貴族とは何か?そしてなぜ貴族が台頭したのか?
A:魏晋南北朝時代に上級官僚を務めた名門を貴族という。貴族はもともと大土地所有の豪族であったが、品等によって役職を付与される九品中正によって政界へと進出し、上級官僚を独占したことで台頭した。
今回はこのような内容でした。
次回は魏晋南北朝時代の文化②として仏教や道教の盛況などについてみていきたいと思います!お楽しみに!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
この記事で使用した授業スライドのダウンロードはこちら↓
・『世界史の窓』、世界史の窓 (y-history.net)
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社
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