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はじめに

前回はこのような内容でした。


今回は宗教改革の広がっていく過程で、ドイツでの広がりをみていきます。ドイツでの宗教改革はどのように進んで、どのように収束していったんでしょうか。
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:ドイツでの宗教改革はどのように広がり、収束していったのか?
ドイツでの広がり
ローマ=カトリック教会の贖宥状販売をルターが批判したことをきっかけに始まったのが、宗教改革でしたね。
そしてその後、ルターが手掛けたドイツ語訳の聖書や著書が、ドイツ中で読まれたことで、ルターの主張も一緒に広まって支持されていきました。

当時はルネサンス期だったので、活版印刷術による大量出版と、文学が各国語で書かれてヨーロッパ全体で識字率が上がっていたことが重なって、ルターの主張は急速に広まっていったんです。

ちなみに当時のドイツ人口は約1300万人だったそうですが、「九十五カ条の論題」で約25,000部。ドイツ語訳『新約聖書』は約86,000部も売れたそうです。
当時は読み聞かせの文化があったので、軽く数百万人はルターの著書を読んだことになります。活版印刷のたまものですね。

ドイツ農民戦争
勃発
そんなルターの教会批判の広がりは、封建領主の聖職者による農奴制に苦しんでいた農民たちの心を射止めました。
生活が苦しかったドイツの農民たちは、各地で領主に対し、生活の改善を求めて一揆を起こすようになります。
その中でも農民一揆に賛同して指導していたのがミュンツァーという人物でした。

ミュンツァーはもともと教会の司祭をしていましたが、ルターと出会ってその主張に刺激を受け、教会の腐敗を批判する活動に転じた人物でした。
ミュンツァーは封建領主として贅沢の限りを尽くしていた教会を変えるために、ドイツで起こっていた農民一揆に参加するようになります。
このように、ミュンツァーの活動は宗教改革だけでなく、封建社会をも変えようとする運動に変わっていき、農民一揆はドイツ中に広がっていきました。
このミュンツァーを指導者として、ドイツ中に広がった封建制度に対する農民一揆をドイツ農民戦争といいます。

SQ:農民は具体的に封建領主に何を求めたのか?

では、ミュンツァーを中心とした農民たちは、具体的に封建領主に何を求めて闘っていたんでしょうか?
以下はドイツ農民戦争で封建領主に求められた農民の「十二カ条要求」です。
これを読んで何を求めていたのか、要点を絞ってまとめてみましょう。
1.未来においてわれわれが力と権威をもち、従ってあらゆる村が牧師を選任し任命しうること、そして牧師が不都合な行為をした場合にはそれを罷免する権利をわれわれが持つべきこと。選ばれた牧師は福音書に教義や命令を付け加えないこと。
2.教会の十分の一税は、われわれの選んだ牧師の生活費に充て、残りはその地の貧民に与えること。
3.キリストは自らの血を流して身分の高いもの、低いものの例外なく解放した給うた。われわれが自由であるべきこと、自由であろうと望むことは聖書に合致している。キリスト教徒としてわれわれを農奴の地位から救い出してくれることはとうぜんである。
4.貧乏人には鹿や野鳥や魚を捕ることが許されないという習慣をなくし、キリスト者として同じ権利を与えること。
5.森を貴族が占有していることをやめ、村に返還し、村民が管理して必要な薪を得られるようにすること。
6.日々に増加する過度の賦役に関して、親切な配慮が払われることを要求する。
7.領主は農民との協定に照らして正当なものだけを要求し、賦役や貢租を無償で農民から強奪してはならないこと。
8.不当な地代によってわれわれが零落しないように、領主は適正な人を派遣して(地主の)占有地を点検すること。
9.新しい法律が絶えず作られわれわれは裁判によらないで裁かれている。旧来の成文法で裁判され、公正な判決であること。
10.かつて村に属していた牧場や耕地(入会地)を個人が占有しているのを、とりもどせること。
11.相続税を完全に廃止すること。
12.以上の箇条が聖書の言葉と一致しないものであれば、その箇条は喜んで撤回する。
エンゲルス、『ドイツ農民戦争』、1850、岩波文庫
以上のことを簡潔にまとめるとこんな感じになります。
聖書者の叙任権や税の公正な使い道、農奴制の廃止、過重な労働や不当な税の是正、共有地の返還、公正な裁判、相続税の廃止などを求め、これらの要求が聖書に反するなら撤回する姿勢を示した。

経過
このドイツ農民戦争に対してルターは最初、農民に同情する態度を取りました。

まあ、教会批判から始まった農民一揆ですからね。
しかし、次第にルターはこの農民戦争に対して、批判的になったいくことになります。
ではなぜ批判的になっていったんでしょうか。
その理由には、農民の要求がありました。
さきほど紹介した農民の「十二カ条要求」は、簡単にいうと「苦しい現状を変えてくれ。」という内容でしたよね。
これに対してルターも初めは同情していましたが、農民たちの要求に対して、

農民たちは聖書を現世の利益を求める道具にしている。聖書はそのような目的で使われるべきではない。
という理由で、現状の利益を求めていた農民はルターの主張とは違うと判断して、農民一揆に対して距離を置くようになり、指導者のミュンツァーとは批判し合うような関係になっていってしまいました。
ルターは諸侯(領主)たちに農民一揆の鎮圧を求めるようになり、最終的にドイツ農民戦争は領主や教会などによって鎮圧されてしまい、ミュンツァーは斬首されて、反乱は終わりを告げることになりました。

ルターは農民一揆が宗教改革から社会変革に変わってしまったことで批判する立場になったところを抑えておきましょう。

宗教内戦
アウクスブルクの和議
ドイツ農民戦争は鎮圧されて落ち着いた後、神聖ローマ皇帝はイタリア政策に集中するためにドイツ国内のルター派の諸侯に対して協力を求めます。
そこでルター派の信仰が認められましたが、イタリア政策が一旦落ち着くと、態度が急変します。

やはりルター派の信仰は禁止だ!
と、ルター派の信仰を禁止にしてしまったんです。
これに対してルター派の諸侯たちは、領内で修道院を解散するなど反カトリック政策を採って、他の諸侯や都市と反皇帝同盟を組んで、神聖ローマ皇帝に対抗しました。
このため、同盟側と皇帝の間で闘争が起きて宗教内戦が起きることになりました。


この時に、ルター派の諸侯が皇帝に抗議文を送ったことから、ルター派の新教徒のことを「プロテスタント(=抗議する者)」と呼ぶようになったそうです。
宗教内戦では、同盟側がルターの死によって動揺して分裂してしまい、劣勢に立たされてしまいます。
加えて、皇帝カール5世がスペイン王でもあったことから、スペイン軍を動員してさらに同盟側を追い込んでいき、同盟側は敗北してしまうことになります。

しかし、スペイン軍の導入によってスペイン人による支配を恐れたドイツ諸侯たちが、皇帝カール5世に反旗を翻して再び内戦となり、カール5世は最終的に敗れてイタリアに逃げることになりました。
そうして、教会側だった皇帝カール5世がいなくなったことで宗教内戦は落ち着くことになり、アウクスブルクの和議が結ばれることになりました。
アウクスブルクの和議では以下のような内容が約束されることになりました。
・「領主の宗教がその土地の宗教」の原則
各地の諸侯は、自分の領地(領邦)でカトリックかルター派かを決められる。
・領邦教会制
ルター派を選んだ場合は、領邦の諸侯が教会の首長になり、教皇から独立して教会を監督できるように。

これによって。その土地のカトリック教会の階層制組織(ヒエラルヒー)は崩壊して、教会が領邦(国家)に直接組み込まれることになりました。
・住民には「移住の自由」が認められた
住民は諸侯が決めた宗教に従わなければならず、従いたくない人は、他の領地に移ることが可能に。

この「移住の自由」は、逆に言うと、万人司祭主義を否定することになりました。

このようにして、アウクスブルクの和議によってルター以降の宗教改革が容認されることになり、中世以降続いていた「教会=カトリック教会」という絶対性は崩れることになりました。
ルター派はその後もドイツ以外の地域にも広がっていくことになり、特に北欧では王や貴族とつながりながら宗教改革がおこなわれていくことになりました。
まとめ
MQ:ドイツでの宗教改革はどのように広がり、収束していったのか?
A:ルターの教会批判から始まり、活版印刷術により急速にドイツ全土へ広まった。農民反乱を経て宗教内戦が起こるが、アウクスブルクの和議で諸侯が領地の宗教を決定できるようになり、改革は制度的に容認された。これによりカトリックの絶対性は崩れ、改革は北欧にも波及していったた。

今回はこのような内容でした。

次回は、宗教改革の広がりの2回目としてヨーロッパ編についてみていきます。新しい「カルヴァン派」が登場しますが、この宗派にはどんな特徴があったんでしょうか?
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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